フィリピン先住民族の村での学び:タラアンディグ(Talaandig)のコミュニティにて

ミンダナオ島先住民族タラアンディグのコミュニティに一泊させていただきました。宿泊のメインの目的は、儀式に参席することでしたが、その合間にコミュニティのリーダーやコミュニティのシャーマン(祈祷師)である女性たちとも話をすることが出来ました。
彼らと自然の繋がりと、伝統を守り抜いて行く強い意志を感じ、多くを学びました。


タラアンディグ(Talaandig)とは

フィリピン南部ミンダナオ島中部の州、ブキドノンの高山部に生活する先住民族。フィリピンには多数の先住民族がいる中、その中でも数少ない、伝統と文化を守り、若い世代にも伝承しつつ、海外にも発信している稀有な民族グループです。

Magbabayaと呼ばれる神と自然を守る精霊を信仰しており、現在もその信仰を表現する、儀式が生活のあらゆる場面で行われています。

儀式への参加

滞在中、かれらの「洗礼式」に参加することが出来ました。タラアンディグ族の出身ではない女性が、数年の交流の末にこの民族の一人となるべく、新しく生まれ変わるという意味を込めて、名前を授かる儀式が行われました。

全ての名前には生まれながらの使命とその存在の意味を含んでいると言います。女性が授かった名前はアニーナイ。意味は「祈り」。゛洗礼゛を受けた彼女はNGOワーカー/活動家として、マルコスの時代を経験し時には激しく活動をしてきましたが、祈り無くして今はなかったと言います。

先住民族のリーダーとの話


伝統を守るとは

儀式を前後して、コミュニティのリーダーから話を聞くことができました。リーダーは、このコミュニティの今に至る変化を話してくれました。
先代のリーダーは容認していたカラオケ、ギャンブル、バスケットボールなど外から入ってきたものを厳しく禁じました。勿論、周囲は猛烈に反発するものの最終的には、コミュニティ全体で文化伝統を保全していく方向で話が進んだと言います。

コミュニティに建つPeace Hallは、某国の政府開発援助で建てられましたが、建設には業者を一切関与させず、コミュニティ中にいる技術者で建てられ、かかった期間は一年と聞きます。

美しい彫刻が建物の入り口と内部に施され、また民族のアーティストによって描かれた絵が内部を飾ります。フィリピンの先住民族の多くがそうであるように、彼らも文字にして記録を残さず伝承であるといいます。そのためこの建設に際してはコミュニティからはプロポーザルを書かず、後のレポートも提出せず建てたと話してくれました。

NGOワーカーとしては某政府の開発援助がこの“案件”をどうレポートしたのか気になるところですが、興味を惹いたのは、部外者が文化を守ることをサポートしたいというのにプロジェクトの案件形成そのものが彼ら先住民族たちのあり方変えていること、そして彼らはそのような変化を“拒絶”したことです。

以前、フィリピン北部のイフガオ族に関してコメントをする専門家が「変化に適応できなければその文化が生き残れない」ということを話していました。しかし、近年のこれほど急激な変化に耐えうる文化など存在するのか・・・それほど色濃い文化を持たない私たち自身ですら思うのですから、変化を必然としつつも自然な変化への対応に任せるのみでは不十分だと感じるわけです。

シャーマンの女性との話

ご年配ながらとってもチャーミングなシャーマン(祈祷師)と話をすることができました。関心は、儀式のときに何が見えたり、何を感じたりするのか。具体的に何が見えると言うわけではないものの、身体に感覚として何かが入ってくる感覚がすると言います。自分の魂が鳥の身体に入りふわりと空を舞っていくいく感覚。あまりに心地よく、現実に戻りたくないほどだったと聞きます。著者はただ「ほー」と感心。

また、これはルソン島の先住民族アエタのコミュニティでも言われた話ですが、知らない土地に行くとその土地にいる精霊たちに敬意を払うべきと聞きます。シャーマンの女性は、新しい土地に行ったら儀式を行うのがよいけれどそれが出来ないのであれば、木のふもとに行ってコイン(お賽銭)などを備え、自己紹介をする、例えば「私は○○○○です。今日ここへは○○のために参りました。どうぞよろしくおねがいします」と。

となりのトトロで、さつき、めい、お父さんが大きな楠の前で挨拶をしたシーンを思い出します。とりわけ都心に生活する我々にとっては何とも滑稽なことなように思いますが、私たちを取り囲む自然、踏みしめている大地を意識するその一つだと思います。

タラアンディーンアーティスト

タラアンディグ(Talaandig artist)
タラアンディグ(Talaandig artist)

ワワイ・サワイ(waway saway)さんをはじめとした、ミュージシャンや絵描き、楽器職人が個人、グループとして活動しています。海外での公演も行っておりシンガポール、フランスのパリ、著者がかつて生活していたナイメーヘンには地域の高校に環境教育の講演に行っていたと言うので驚きです。

ワワイ・サワイさんと席をご一緒する機会があり、お話をすることが出来ました。フィリピンでは、親しくなった年上の人たちをお姉さん(アテ)、お兄さん(クヤ)、おじさん(ティト)、おばさん(ティタ)、お父さん(タタイ)、お母さん(ナナイ)と呼んでいます。そのため、ワワイさんを父さんと尊敬と親しみを持って呼んでいますが、ご本人いわく、魂の入れ物がたまたま男性というだけだったとのこと(笑)けど、「お父さん」と呼んでOKとのことでした。

印象に残った言葉は、

人々は一生涯で消費するお米の量以上のものを望んでいる、何が生きるのに必要か?

シンプルな問いかけの中に生き方が見えます。海外で講演し、有名なワワイ父さんですが、お宅はとってもシンプル。何が必要か、必要なもののみを持って生きているだからだと思いました。

彼らの音楽は日本のお祭りのようで気持ちを高揚させつつも、一緒に呼吸をするような種のリラックスのある節で、とても落ち着きました。いつか日本で講演してほしいと思っています。

コミュニティの自然
タラアンディグ(Talaandig)のコミュニティ
タラアンディグ(Talaandig)のコミュニティで迎えた朝


朝は美しい朝日が東の空からコミュニティを照らし、少し下れば小川が流れ、田畑に囲まれながら、農業を生業として生活しています。夜は山岳部故に肌寒くジャケットが必要ですが、日中は山に囲まれているため、熱帯ながらも猛烈な暑さを感じません。

それゆえ、マニラに戻った後は暑さゆえに頭痛が。小さな自然に囲まれていたものの、都市化した街で生まれ育ち、後に大都会東京で生活した著者と照らし合わせて、彼らの自然への感度が敏感でかつ大きな尊敬をもって接していると感じました。

また、彼らの話を聞きながら、環境問題は因果関係の証明が難しいので、専門家たちに任せておけばよい!と思っていたのですが、そういう考えを変化させたのが大きな収穫でした。

(2013年11月に記載)

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