フィリピン第二の聖人ー聖ペドロ・カルンソッド(St. Pedro Calungsod)記念ミサ

フィリピンは熱心なカトリック信者が多い国。移民先の国でも毎週の礼拝を欠かさないフィリピン人カトリック信者も多く、閑古鳥の鳴く教会を盛り上げているいるそうです。

そんなフィリピン人コミュニティを一層盛り上げたのが、2012年10月21日にローマ教皇ベネディクト16世が正式にペドロ・カルンソッドをフィリピン2人目の聖人として聖列に加えたというニュースでした。フィリピン人で聖列に加えられたのは1987年の1637年に長崎で殉教したサンロレンソ・ルイスに次いで二人目となります。
聖ペドロ・カルンソッド(St. Pedro Calungsod)の肖像
聖ペドロ・カルンソッド(St. Pedro Calungsod)の肖像


ペドロ・カルンソッドはキリスト教の活動に加わり、布教活動中訪れたグアムの地で住民によって殺害されてしまいました。その時の年齢は弱冠17歳。殺害される際に逃げることも出来たものの甘んじて死を受け入れたといいます。布教活動、殉教、そして奇跡をもって聖人となりました。

どうしたら聖列に加えられるのか

カトリックの言う「聖人」とは、生きている間にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことをいうそうです。更に言うと、カトリックでは尊者・福者・聖人の別があり、尊者は模範的生き方であったことを公認する時につけられる敬称、福者は尊者から更に徳ある行為あるいは殉教によりその生涯が聖性に特徴づけられたものであったときの敬称マザーテレサなどが福者とされているそうです、そして聖人は福者の列に加えられた後(列福)、もう一つの奇跡が起こった際に与えられる敬称だそうです。奇跡とは、聖書にあるようなキリストによって病が治ったり、死人が蘇ったりしたことをさします。 

感謝のミサ

そうした事情で昨年10月は、カルンソッドの故郷とされるセブ島、フィリピン各所でそのクリスチャンとして模範的な生き方をたたえ、聖列に配したことを祝う感謝のミサが行われました。オランダの各フィリピン人コミュニティでも感謝のミサが捧げられたそうですが、今日はオランダのメインのフィリピン人コミュニティが一同に会してニーウ・フェネップの教会で感謝のミサを行うということで、参加してきました。
聖ペドロ・カルンソッド(St. Pedro Calungsod)のミサ
聖ペドロ・カルンソッド(St. Pedro Calungsod)のミサ

朝は7時にフィリピン人コミュニティのリーダーが息子さんの運転で家まで迎えに来てくれました。この時期の朝の7時はまだ夜が明け切らず薄暗く、会場に行く社内で朝焼けを見ました。

会場に到着するとまだミサが始まる前にもかかわらず、結構な人数がフィリピンの民族衣装、バロンタガログ、フィリピニャーナを来た女性たちがエプロンをかけてお昼ご飯の支度をしていたり、久々の再会を喜ぶ声が聞こえたり、賑やかな様子です。

マニラで会ったフィリピン人の他のコミュニティの知り合いにも挨拶をして、ばたばたするうちにミサが始まりました。ミサは通常のものとは異なり、3人の神父、賛美歌もオランダ語、英語に加えてラテン語でも歌われ、2時間の時間たっぷりに厳かに執り行われました。ミサの中で神父は、ペドロ・カルンソッドの生き方に倣うこと、キリストの教えを実践することなど、信徒にとって大切な日々の行いについて言及されました。

キリスト教徒としてその教えを命を賭してまで貫くということは畏敬の念すら湧いてきます。殺害された時から400年以上を経た今に聖人とされ、人々の知るところとなったわけですが、宗教が長い歴史をもって変質、ときに堕落していったとしても、尊いとされる行いとその価値、そしてその共有感というものが変わらないことを目の当たりにしました。改めて、宗教的価値の実践とコミュニティ内の共有意識の強さに驚きでした。

ミサのあとはお昼ご飯。オランダの各地のコミュニティが分担して料理を持ってきています。著者の属するフィリピン人コミュニティは8キロほどのひき肉で作ったミートボールを持ってきていました。
8キロのひき肉で作ったミートボール
8キロのひき肉で作ったミートボール

ミサの参加者が300人、足りるのかと思いきや、他のコミュニティも同様にご飯、お肉、サラダ、デザートまで持ってきており、ものすごい品目でオカワリまでできる余裕でした。さすが、食べ物に関してはフィリピン人にはかなわない(^^; 絶対に足りないことがないように、お腹いっぱい食べさせるという精神を感じました。

宗教行事でありながらそれほど固くはなく、コミュニティ行事のような気安さがあった今日のミサでしたが、フィリピン人が聖人として聖列に加わったという誇りと、その模範的な生き方への憧れを参加者から感じました。

著者は宗教的感性が皆無に近いのですが、いろんなことを感じ、ある種よい一週間がスタートできたと思います。

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