灰の水曜日

先週の日曜日はカーニバルでしたが、それは四旬節(イエスキリストが復活する46日前)が始まる前のどんちゃん騒ぎ。灰の水曜日から四旬節が始まります。

灰の水曜日では、これまでの自らの罪深い思いや行いを悔い改めるべく、頭か額に灰をかける「灰の式」という厳粛な儀式が執り行われます。人間、亡くなれば灰となり、塵となります。その灰よりも劣るこの身であることが式により強く思い起こされます。この灰は前年2013年の「枝の主日」に祝福されたオリーブの枝を利用しています。


神父さんは、紫の祭服をまとい灰の水曜日のミサを執り行いました。紫とは、よくカトリック教徒の葬儀の際にもよく用いられる色で、「死」が連想されますが、「希望」を象徴する色とも理解出来ると話されました。イエス・キリストが死から蘇る希望。どれほど罪深いことを行っても、神様の元に戻る道を諦めなければ、「希望」がある。イスカリオテのユダはイエスを裏切り、絶望して命を絶ちまし
たが、一方3弟子のうちの一人ピーターもイエスを裏切ったものの、自らの行いを深く悔い改めたという、2人の弟子の態度とその後を例えを持って話されました。
四旬節ではまた、断食をしますが我々の命が自分の肉体以上であることを思い起こさせる重要な時期であると強調されました。

四旬節の間に慎むべきことは、飲酒、性交、肉食でカトリックの3つの信仰の柱とされる実践「断食」と「祈り」と「施し」が奨励されます。断食も大斎と小斎とがあり、食事の量を減らします。1日に1回だけの十分な食事、朝ともう1回わずかな食事となり、小斎は肉類、卵、チーズなどの乳製品も食しません。

カトリックの家庭に生まれ育ったわけではないので、1つ1つ意味を確認しながらこうした宗教儀式に参加しております。灰の水曜日は自ら自身の行い、内面を振り返り確認し、また色々な繋がりを意識するよい機会となりました。

額に頂いた灰は自然に取れるまで、そのままにしておきます。そのため、ミサの後にある集まりでおでこの黒いものは何かと聞かれ、散々説明することになりましたが、意味の理解を確認する上でよかったのだと思います。(笑)



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