台風ヨランダの被災地を訪問する(2)

台風の被災地を訪問する(1)からの続き
今回の短い滞在で、パロとオルモックを訪問し、オルモックに一泊出来ました。

訪れた両コミュニティは死傷者数はゼロ、しかし家屋の大半は屋根とその屋根の接続部分が激しく損傷しており、単純に屋根部分の修繕で済むという話ではなさそうです。

なぜこのような被害となったのかというと、一つには家の構造によると建築士でNGOのボランティアである青年は説明してくれました。
フィリピンの家屋は、基本ブロックに針金を入れて周りをコンクリートで固めたものです。特に安価に作らざる得ないこれらコミュニティの家屋はこの家の支えとなる柱もありません。屋根もシンプルな形で軽い素材で作られています。今回の台風が想定外に大きかったこと、そして家屋の構造から、風によって破壊され当に家が何か大きな魔物に食われたようにぽっかりと穴があいています。

台風の当日は、風が強くなってから家族でトイレに逃げ込んだという家族の話を多く聞きましたが、家屋の構造上からも納得します。中には風で電柱が家に倒れてきて、それがもう少しでトイレの個室側に倒れ、危機一髪であったと言い話も聞きました。

オルモックは特に1990年やはり11月、それも5日と今回の災害の日程と近い日に大洪水に見舞われ多くの死者を出たと言います。そのため、被災するのは今回が初めてではないと言いますが、瞬間最大風速100キロを超える風で1メートル先の視界すらなかったのですから、相当なもので大人はもとより子どもたちに与えるインパクトはいかなるものであるのか想像してしまいます。

現地でサイコソーシャルで子どもたちの災害によるストレス低減のプログラムにボランティア参加したNGO勤務の友人は、子どもたちと接する中で以下の気付きをシェアしてくれました。
大変な経験をしたので、子どもたちも普段の生活に戻るべく周りの大人たちからの助けが必要ですが、親は子どもたちを養わねばならない責任から、生活の再建に向けて忙しく以前にように子どもたちと過ごせる時間が減っているように感じます。その証拠により低学年の子どもたちと接すると皆群がるようにして抱きついてくるのだとか。本当は親、あるいは年長者のケアが必要なように感じましたとのことでした。

また、ボランティアは必要なもののやはりフィリピンのそれほど大きくはない地方都市に、突如として多くの外国人をしかも一斉に見るのは初めてで、子どもたちは特に身体の大きなアフリカ系アメリカ人、アラブ人などに対して怖がっていると聞きます。

また、デマなども広がっています。パジャオと呼ばれるイスラム系のエスニック・グループが牢屋から脱獄して悪さをしているといったたぐいのことです。こんな根拠がないうわさが広がるというのは、人々の心の状態が不安定なのだと思います。

家屋の修繕や町の再建も大切ですが、そうした心のケアは「個人の心の強さ」ということに帰結出来ない問題に感じ、特に言葉の通じるフィリピン人によるサポートが大切だと思いました。

台風の被災地を訪問する(1)

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