とりとめなく、フィリピンネタ - 日比のトリビア

フィリピンから日本に帰った、ちょっとの滞在期間中(2012年のこと)"Finding Connections in Philippines-Japan History"という勉強会に出席してきました。講師はAmbeth R. Ocampo氏(以下オカンポ教授)、フィリピンのアテネオ大学で教鞭をとっている歴史学者。

歴史学者と言っても特にアカデミズムの世界どっぷりという訳ではなく、教授職の他、フィリピンの全国紙Inquirerに週に2回ほど記事を投稿しているコラムニストであり、国の歴史について政府としてどういう観点を持つのか等々助言などをしたりと手広い。歴史の中でも専門は国民的英雄ホセリサールについて。現在はサバティカル休暇(研修休暇)を使って日本の上智大学で昨年まで客員教授をされている。
オカンポ教授
オカンポ教授

オカンポ教授の発表のスタイルは、発表について自分の発表テーマとの関わりから始まる。自分がどう日本とつながったのか・・・。彼の叔父が日本式の家を所有していたり、1960年代に日本を訪れ芸者遊びまでしている写真を見せてくれた。彼のお父さんが芸者に絡んでいる少々ハレンチな写真など。笑いを取るところなどやはりピノイ(フィリピン人)。
 彼の発表スタイルは面白く、とりとめのないネタがちりばめられており、聞く人を飽きさせず、時間が経つにつれて、主題に収束していくのがすごい。

とりとめのない話

フィリピンのマーケットにある魚Galunggong(ガロンゴン) は別名Japayuki(ジャパユキ)と呼ばれている。ジャパユキとは日本に出稼ぎに来る東南アジア人女性の呼び名。Galunggongはちなみに鯖。

Tansan(タンサン)はフィリピン語で瓶の蓋を意味します。けど、元々は炭酸水から派生した言葉。Katol(カトール)はフィリピン語で蚊取線香。日本人、及びフィリピン人が行き来した歴史の中で、それらの言葉定着。

フィリピンの代表的料理の一つアドボはかつての宗主国スペインからの影響と考えられてきたが、実はフィリピン発祥の料理。肉を長持ちするために酢漬けにしたものをスペイン人が食べてAdbar(マリネの、酢漬けの、酢で保存する)と言ったことからきたこと。私てっきりスペインの影響かと思っていました。

関連ブログ「フィリピン料理 ‐ アドボを作る [レシピ]
フィリピン料理とは?‐是非試してほしいフィリピン料理10選

ハロハロはミ●ストップなどで夏場売られていますが、皆はフィリピンが発祥の地だと理解されているようですが、実は日本からきたもの。フィリピンには氷はありませんでしたので。証拠として、他の日本と関わりのある東南アジア地域(台湾、マレーシア、タイなど)にはフィリピンのハロハロに似ているデザートがある。以前に雑誌でハロハロは日本人のフィリピンへの移民がかき氷を現地に売り始めたことから始まったと読んだことがあります。日本のかき氷と類似したデザートの歴史は10世紀に遡るため、信ぴょう性のある話。
しかし、ハロハロはフィリピンで現在の形となりました。そういう意味ではハロハロはフィリピンの食べ物と考えてもいいのでは?

関連ブログ「フィリピンで本場のハロハロを!

更にとりとめない話

現在フィリピンの大使公邸はかつてジョンレノンの奥さん、オノヨーコ氏の生家だったとか。(これは聞いたことがあるような、ないような)オノヨーコさん近年生家を訪れた様子。

神風特攻隊の発祥地はパンパンガ州マバラカット市。そこには神風の銅像が立っている。

フィリピンの島の数は7107。この数字は1941年時のデータ。フィリピンの国土地理院すら、その数字の根拠を知らなかったという。

何だかフィリピントリビアの様相を醸しだしてきました。

フィリピンの新しい1000ペソ札に描かれている3人の人物は第二次世界大戦中に日本軍によって殺されたフィリピンの英雄たち。何故今頃フィリピン人に戦争を思い出させるようなことをするのかということで論争になったらしい。

とりとめのないところ、一見役に立たないようなところからつながりを見出す手法、ネタのお面白さ故に聞き手が最後まで勉強会への興味を失わなかったりするのだから、オミゴト。
そしてオカンポ教授専門のホセリサールの話


フィリピンの英雄ホセリサールは1888年49日ほど日本に滞在。日本の滞在中は日本語を勉強し、日本の絵を描いていた。特に日本の家屋に関心があったらしくかなりの数の筆で描かれた絵が残されてます。なんでそんなに一生懸命日本語を勉強したのですかね?と、ここに英雄ホセリサールが慕った?女性の存在が...うすいせいさん(通称:おせいさん)。マニラのホセリサール記念館にもおせいさんの絵が飾られ、またリサールの銅像も日比谷公園にひっそりと佇んでいる。(見たことあります?)

近代の話、食べ物、言葉の話と色々出てきたけど、日本とフィリピンの関わりは1645年頃にはあることが「万国人物図」からもわかる。絵の二段目にルソンとあるのはルソン島から来たフィリピン人。(「万国人物図」で検索して見てください。)更に言うとそれ以前からも関わりがある。貿易に従事する日本人が日本人街を形成したいたり。。。近年のフィリピーナ(フィリピン女性)の大量入国よりもずっと前から人の行き来はあるのです。

小ネタの集合体から思うことは、バイアスなしで歴史を見ることが出来ないという事実を認めること。いつも歴史は見る人、立場で解釈が変わり政治的にも利用されたり、それが教育を通じてじわりじわりと浸透していたりして。。History will never be innocent.(歴史は決して無実じゃないのだよ)

え、小ネタの集合体からなんでそんな結論が???
じゃあ、次回は是非勉強会に参加を。

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