コンテスト授賞式にお邪魔して考えたこと

 昨年9月に旦那が、母語であるビコール語でエッセー、物語、詩を書くコンテスト「Premio Tomas Arejola 2012」で入賞し、代理で授賞式に参加するため、旦那の故郷ビコール地方を訪れたことをとあることがきっかけで思い出しました。

 代理での受賞にかこつけての夫不在中の夫の実家訪問というのがメインイベントがありましたが、コンテストなるものにも興味がありました。みな、言語にどれほどの愛着があるのだろうか、どんな人が応募したのか、授賞式はどんな雰囲気なのか?日本人として、日本語を話すということが息をするように当たり前だったのですが、フィリピンで長期滞在する中で、フィリピン人が多言語環境に身をおきながら、自分が属する言語グループに対する所属意識の強さを間近に見た時に、普段フィリピンの公用語であり、公教育で習うフィリピノ語を流暢に話しても、彼らにとっては十分ではないことを感じ、考えさせられました。まぁ、逆に多言語環境に身を置くからこそ、他人との差異を感じより深く、自分自身の所属を考えさせられるのでしょうが・・・
 
 コンテスト授賞式は、ビコール地方の商業、教育、金融の中心であるナガ市で行われました。受賞者や関係者を合わせて約50~60名が参席。エッセー、短編小説、詩など各セクションから5編選ばれ、その中で最優秀作品が発表されます。審査は、主催団体とそこに属する教授などから構成される委員会で行われたと聞きます。何人かの人は全て応募しているようで、受賞の際に何度も名前が呼ばれていました。旦那は短編とビコール古語でエッセーを書いて、エッセーのみが選ばれる形となりました。
受賞式会場
他の受賞者を見てみると、大学教員など書くことが得意で、かつお仕事というひとが多かったのですが、私がお話した一人は公務員で趣味でものを書いており、それを出してみたら受賞したと言っており、奥様とご夫婦で会場に来ていました。
 フィリピンで全国的出版物にお目にかかることはなく、全国チェーンの本屋で売られる本は輸入本。そして、地元の物価からすると高価であるため、一般の人はほとんど購入しません。本の普及率と一般の人が購入する率は日本はずば抜けて高いように思われますが、地元出版が盛んではないフィリピンが一般の人も文学に興味を持ち、自らも筆をとろうと思うのは文学の敷居が高いようで低いという日本とは異なる文学への関わり方に興味を持ちました。けど、そもそもこうした賞の数が少なかったりして(^^ゞ

市長さんの挨拶
フィリピンには百何十という「方言」があります。「方言」と彼らは言っておりますが、すでに異なる言語のような違いがあります。日本で関東で生活する人間が関西や東北の人たちの言葉がわかるというレベルではなく、彼らの場合は言語が異なるため、一つ地域をまたぐと全く異なる言語圏が広がり、お互いの母語でしゃべったら意志の疎通はできません。旦那はフィリピノ語や英語を学校で習い勿論不自由なくネイティブと言ってもよいほど流暢に話せますが、母語はビコール語です。そして、彼は前者二つの言葉では十分に自分自身を表現できないと言います。ネイティブに近く話せるのにも関わらず、十分ではないというのはきっと表現の技巧以上のものなのだと思います。

 フィリピンという社会は、「フィリピン人」としてのアイデンティティもありますが、これは近年になって出てきたものとしばし聞かれます。もともと、小さな地域単位でコミュニティを発展させ、山や谷などの自然の境界によって人々が離れて生活しておりました。それゆえ、フィリピン人としてというよりも●●人として、旦那の場合はビコール人としてのアイデンティティが強く、そしてその言葉を大切にしています。

 前述の通り、フィリピンには百いくつもの言語があります。しかし、フィリピンの統計局の資料を観ると、話者が100人を切っているという言語もいくつか見られます。何らかの措置を取らないと言葉が死に絶えてしまいます。旦那の言語、ビコール語はまだ話者も多く、無くなってしまうという危機感はありませんが、両親が共にビコール人であっても、マニラで生まれ育つ子どもたちは、フィリピノ語のみしか話せないということもしばしばあります。それを避けるために、家庭の中では母語で話をします。そのため、旦那の親族の家に行くと皆ビコール語で話をします。旦那も子どもができたら、絶対ビコール語を教えると張り切っています(汗)その前に、旦那には日本語学習に励んで頂きたいものです・・・


 

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