[書籍] 「医療アクセスとグローバリゼーション:フィリピンの農村地域を事例として」

農業耕作地を無期限で貸し出す、あるいは提案した額で買い取って欲しいという提案をフィリピン人の旦那が博士課程を終え帰国早々受けることがありました。

土地の貸し出しの目的は、土地の所有者が現金を得ることにあります。現金が必要な理由は、入院の費用の捻出のためです。外国から帰国したての旦那は外国帰りでお金をたんまり持っていると思われていたため、このような提案をうけることしばしでしたが、旦那だけではなく、海外で労働に従事する近所の人にお願いしてまわっていたようです。

医療アクセスとグローバリゼーション:フィリピンの農村地域を事例として
「医療アクセスとグローバリゼーション:フィリピンの農村地域を事例として」

持てるものは所有物を売り、お金を作りますが、果たして持てぬものはどうなるのでしょうか。ご紹介の書籍はフィリピン中部のさとうきび生産で有名なネグロス島の農民の生活を「医療」という視点から書いています。

医療と引き換えに丸裸にされる貧困層

フィリピンの農民は、「耕すほどに貧しくなるフィリピンの農民ー農村の貧困を考える」で書いた通り、耕すほどに借金がかさむ人たちも少なからずいます。そんな農村の貧困層が医療を受けるのは、経済的にもシステムの上でも簡単なことではありません。
「医療」市場に包摂された低所得層は、不十分、不適切な治療のため高利で借りた現金を無駄に消費させられ耕作地も奪われる。(p17)
医療費を支払うために、高利貸しから借金する、あるいは、持っている田畑を売り払わなければならないこともあります。誰が購入するのか?山間の農村部では、安定的な現金収入を持つ、市長やその親族のみしか、頼るあてがありません。田畑を販売することで、たちどころに農民たちは小作農という立場に陥ってしまいます。

土地などの所有物を持てぬものは、借金をします。借金は、収穫物でもって支払われるのですが、(法外的に)高利子であるため、収穫のたびに支払えるのは、利息分にすぎません。永遠に支払い終えることができないという状況に陥っている農民もいます。
住民の政治信条を操作する目的で、市長が「医療」を利用しているのは明らかである。(p77)
救急車は公的なものですが、市長など地区の行政の長の許可がなければ利用できません。(それでも無料ではなく、ガソリン代などを支払わないといけない!)緊急時はどうしてもそれらの地方の有力者に頼らざるを得ません。結果、選挙時に投票しなければならないということになります。公共物も全て、権力の道具として利用されているのが、フィリピンの農村部の実情です。
「医療」購入がただでさえ低栄養状態にある低所得層の状況を一層悪化させている、あるいは「医療」が暴力と化している事実である。(p18)
暴力とはなにも物理的なチカラで誰かをやり込めるというだけではなく、社会・経済的に無力にしてしまうことで、 相手に従わせることを意味します。
しかし、実際の物理的な暴力も存在しています。

現状を打開するために立ち上がりたい!けど・・・

こうした農村の難しい現状を改善すべく、立ち上がる農民たち(生活を向上させるための農業協同組合の組織化)は共産主義のレッテルを張られ、警察、軍隊等の部隊に秘密裏に誘拐・暗殺されているということも起こっています。農民たちが自ら立ち上がる力すらも削がれています。

農村部での新人民軍の活動

農村地域は貧困地域でもあり、フィリピン共産党、軍事部門の新人民軍(NPA)の活動地域とも重なります。ブログ「山が消えて無くなるまで~ビコール地方とNPA~」にも書きましたが、今も彼らの活動は少数ながらアクティブです。

山村部で活動している人間はNPAのシンパ、あるいはメンバーと思われ、拘束・投獄もしくは失踪という危機にも直面しています。ここフィリピンではマルクス主義は、教科書での出来ごとではありません。

フィリピン国軍、国家警察その他の治安部隊の関与が指摘されています。軍事作戦「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由防衛作戦)」、それに基づく軍の内部文書「汝の敵を知れ」がリークされ、非武装市民・合法的な市民組織が軍事作戦の対象とされていることが明らかになりました。

実際、NGOで山岳部の先住民族の村で仕事をしていた時に、「訓練」という名の下、軍隊の姿を幾度か見ました。先住民族のリーダーは注意深く「彼らは我々が共産主義者と接触しているのではないかと見張っている」と教えてくれました。先住民族と共産主義者との接点の有無は確認出来ませんでしたが、厳しい山村部の事情を考えると、共産主義の思想に共感する人たちがおり、協力体制をもっていても不思議ではありません。

医療が受けられることが当たり前ではない農民の貧困層

貧困層は、健康を維持したい、病気の治療をしたいという基本的なニーズを満たすことが出来ずにいます。それは、地方の有力者に従うことと引き換え(彼らにとっては「庇護」ともいい、互酬関係でもあるが・・・)で可能となったり、借金を承知で医療を受けざる得ない等です。重層的な社会の仕組みの上に出来上がってしまったこの不正義。こういうこともあるだろう、仕方ないと「ほおっておく」にはあまりにも酷ではないかと思うのでした。

本書は基本的には、博士論文を書籍にしたもので、少々理論的なことも書かれていますが、第三章に掲載されている事例、また書籍全体に挿入されているインタビュー等から、人々の様子、直面している「暴力」が描きだされており、読みやすく、現地の状況を理解しやすいのではないかと思います。是非、ご一読を。

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