フィリピン人の空間認識と人づきあい

個人のスペース、プライバシーについて不満を言いたくなる今日この頃です。

物理スペースの侵害?or ご近所づきあい?
隣のお宅の人、何も言わず人の家に上がり込んではじろじろ家の中のものを見渡した後に要件を言ったりします。いや、要件は玄関先でお願します・・・というところですが、そうはなりません。
新居に引っ越した時も何故かその時に一緒にいた親族全員が家に入ってきて、やはりじろじろ。

ごきんじょ我が家のゲートの前に立ち止まって家の中をやはり、じろじろ見ていたり・・・

外国人がこの地域にいるという珍しさもあるのですが、この人々の行動どうしても好きになれません。時に「おい、コルぁあ、じろじろ見てんじゃねーよ、見世物じゃねぇんだ」と凄んでみたくなります。

まぁ、田舎のコミュニティで風呂に入ろうとしている所を覗き見された時ほどの怒りはありませんが(汗)個人のスペースが侵されている感じがしてしまいます。

騒音?or 音楽
今日も朝は、マドンナのlike a virgin という曲で目が覚めました。音源は勿論我が家ではありません。数軒先のご近所がボリュームマックスで、曲を流しています。時にカラオケ、フィリピン人らしからぬ下手さで、Bon Jobiなど歌っています。
そう、個人のスペースが侵されるというのは何も物理的スペースに限りません。ご近所からの音もそのうちに入ります。

また、お隣の犬一日中吠えまくっています。うるさい以外の何物でもありません。犬の躾と言うものをしていないので、欲求があると吠えて、辞めることがありません。

これは、本当にうるさい。一日続くことも。

個人のスペースと言うのもをどう考えているのか、大いになぞです。日常的人との距離の物理的距離の近さがそうさせるのでしょうか。

海外特有のボディランゲージゆえ?
海外なので、握手・ハグ・キスなど身体を使っての挨拶も多いのは勿論日本とは異なっています。日常的に身体を使って、そして接触したコミュニケーションをしているが故、慣れているようにも思います。

日常的物理的スペースの近さゆえ?
例えば旦那の義母の家、週末になると甥っ子姪っ子たちが泊りにきます。現在2階部分は修繕中であるため一階の居間のみが唯一滞在できるスペースとなりますが、そこに8~12人が横になります。文字通り足の踏み場もありません。これは特別な状況ですが、人部屋に何人もというのは日常的に見られます。
だからなのか、狭いスペースに多くの人が居ても「そのようなもの」として受け止めているように感じます。

その代表的なものがジプ二ー、トライシクルなどの乗り物。日本人的にはありえないほど詰めて座ります。日本人のスペース感覚からすると、16人ほどが最大人数であろうところフィリピンでは20名あるいはそれ以上乗り込みます。

食堂。特に大衆食堂は本当に小さなテーブルと、そのテーブル間隔の狭さが目立ちます。スペースの有効活用とも言えますが、時に詰め過ぎていてフィリピン人ですら窮屈に感じることもあるようです。けど、こちらの人は大らか。そんな場合も苦情を言うわけではありません。

インクルーシブな文化ゆえ?
こちらがオープンにしていることを示す一番の方法は勿論、場所を開放していること。こちらでは、人がご飯を食べている所にで食わずとかならず「たべませんか」と誘ってきます。本気度は低い場合が殆どですが、そういうことでそこにいる個人を認識します。私に言わせると挨拶に近いと思います。輪の中に人を入れたがるのがフィリピン。

ここから、フィリピンのホスピタリティ溢れる文化が醸成されるのでしょうか。

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